大阪地方裁判所 昭和49年(わ)1399号 判決 1976年3月04日
主文
1 被告人を懲役一年六月に処する。
2 未決勾留日数五三〇日を右刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、酒に耽溺しアルコール嗜癖に陥つて、飲酒すればこれを押え難くなり、清酒に換算して五、六合以上飲酒すれば他人に対し暴力を振うに至つたことが多く、既に離別した内妻や母、弟、雇主から酔醒め後その狼藉を告げられる等して、その非を知ることが屡々であり、殊に昭和四八年二月六日大阪地方裁判所で窃盗、住居侵入及び刃物による脅迫暴行を手段とする強盗未遂各罪により、各犯行当時被告人が飲酒による複雑酩酊のため心神耗弱の状態にあつたと認定された上、懲役二年六月、四年間執行猶予、付保護観察の判決言渡を受け(同月二一日確定)、かつ、裁判官から特別遵守事項として禁酒を命ぜられたほどであるから、飲酒すればその誘惑から自己規制が困難となり、杯を重ねて異常酩酊のための精神障害により是非弁別能力又は是非の弁別に従つて行動なる能力(以下「行動制禦能力」)が少くとも著るしく減低する状態になつて他人に暴行脅迫を加えるかもしれないことを認識予見しながらこれを認容し、昭和四九年六月八日午後五時過頃から仕事先で一級清酒二、三合を飲み、当時宿泊していた池田市木部町九八番地金岡組飯場に戻り二級清酒二合を飲み、更に外出して午後八時頃までにあえて一級清酒三、四合を飲み、その結果病的酩酊に陥り意識は多少あるが是非弁別能力及び行動制禦能力を欠如する状態を招き、同夜遅く牛刀(昭和四九年押第五一七号の一)を携えて右飯場を出、同市内を徘徊中、翌九日午前一時一〇分頃同市豊島北一丁目一六番一六号先路上で遠藤宏(当時四四才)の運転するタクシーを停めて乗車し、大阪市方面へ走行させ、豊中市螢ケ池東町一丁目三番三号付近道路に到つた際、ハンドル操作中の同人の左手首を左手で掴んで後に引張り、右手で刃体の一部を風呂敷(同号の二)で巻いた前記牛刀を同人の右肩越しに示し同人の身体等に危害を加うべき体勢を示して脅迫し、右牛刀の刃以外の刃体をもつて同人の頸筋等を叩く暴行を加え、もつて兇器を示して人口暴行脅迫を加えたものである。
(証拠の標目)<略>
(本件強盗未遂の訴因に対し、自ら招いた道具状態における示兇器暴行脅迫罰と認定した理由)
本件公訴事実は、「被告人は、タクシー運転手から金員を強取しようと企て、昭和四九年六月九日午前一時一〇分ころ、池田市豊最北一丁目一六番一六号先路上で遠藤宏(当四四年)の運転するタクシーに乗客を装つて乗り込み同日午前一時三五分ころ、豊中市螢ケ池東町一丁目三番三号先路上にさしかかつた際、背後から左手で右遠藤の左手首をつかみ、右手に持つた肉切り包丁を同人につきつけながら、同人に対し「金を出せ。」と申し向ける等の暴行及び脅迫を加え、その反抗を抑圧して同人から金品を強取しようとしたが、同人が隙をみて車外に飛び出し逃げたため、その目的を遂げなかつたものである。」というのであり、弁護人は、本件犯行当時被告人が心神喪失の状態にあつたと主張する。
よつて審按するに、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書には、被告人が少くとも清酒七合を飲んだ後もかなり意識が清明であり、飲酒後強盗をして金員を取得しようと思い、判示飯場から牛刀を持ち出し、押し入るべき家を需めて池田市内を徘徊中、方針を変更してタクシー強盗をすることを決意し、判示タクシーを停めて乗り込み、判示被害者に牛刀をもつて脅迫等を加え、金員を強取しようとしたが、同人が逃走したためその目的を遂げなかつた趣旨の記載があるので、逮捕された後もその追想に殆んど障害がなく、本件犯行時は正常な心神の状態であつたかに見え、更に遠藤宏の検察官及び司法警察員に対する各供述調書中、被告人の言動に関する記載に鑑みると、判示タクシーに乗車した当時の被告人が意識喪失ないし失神状態ではなかつたことはもとより、被告人の前記各供述調書の記載とは若干異る点があるにせよ被告人の意識に格段重篤な障害がなかつたかに思われ、公訴事実の認定は容易の如くである。
ところが、前掲鑑定人秋元波留夫作成の鑑定書、証人秋元波留夫に対する証人尋問調書、自由飲酒試験の際の録音テープによれば、被告人は、飲酒試験において一級清酒三合を飲んだ程度では心神に特段の異状を認めないが、酒を求めてやまなくなり、自由飲酒試験では飲酒開始二時間二〇分後に六合(純アルコール約一三八グラム)を飲むや、血中アルコール濃度は0.26%となり、急激に、素面では認められなかつた狂暴な行動、粗暴な言辞を示す等の激しい運転昂奮、意識障害(譏妄)特徴を呈し、その前後からの記憶は、著るしく悪く、飲酒開始二時間四〇分後に6.2合飲み終つてから約一時間二〇分以後即ち飲酒開始から四時間以後のことは完全に記憶脱失し、顕著な病的酩酊を発現したことが認められ、この事実に、関係証拠上認められる被告人が本件犯行前約八時間ないし五、六時間に一級清酒五ないし七合(一合中の純アルコールは二三グラム)、二級酒二合(一合中の純アルコールは二二グラム)合計純アルコール約一五九ないし二〇五グラムを飲んだ事実並びに従前の被告人の酩酊時の行動、その追想の内容程度、本件犯行前後の行動に関する鑑定人の問診に対する被告人の応答内容及び当公判廷における被告人の供述を加味して考察すると、被告人は、病的酩酊を起こし易い体質的条件を備えていると認められ、本件犯行前五、六時間から本件犯行当時まで被告人の意識障害の重い時間帯は長く、意識障害は軽いが追想の暖昧不鮮明な短い時間帯がこれに介在したと認められ、本件犯行後全健志は呈しないが、広範囲で強い島性健志が顕著であつて、犯行前五、六時間から犯行当時までの記憶は捜査官の取調当時も定かではなかつたと認められる。
従つて、被告人の司法警察員に対する各供述調書中、判示牛刀を持ち出した頃から本件犯行頃までの事情に関する供述記載が司法警察員の誘導に応じて録取されたとの当公判廷における供述をもつて、自己の責を免かれるための弁疎に過ぎないとして無下に排斥することはできないのであつて、右調書の影響を否定しえないと思われる被告人の検察官に対する供述調書を含めて被告人の捜査官に対する各供述調書の前記記載部分を被告人が本件犯行当時正常な心神の状態にあつたことを認定する資とするわけにはいかない。
尤も、遠藤宏の検察官及び司法警察員に対する供述調書に記載された僅か数分の間になされた一見正常と思われる被告人の会話、同人の正常人のように思われる暴行その他の行動や「金を出せ。」との文言等片々たる事実を切断抽出すれば、被告人の本件犯行当時の精神状態は、恰も清明であつた如くではあるけれども責任能力の存否の判断基準が犯行当時における行為者の意識が清明であつたか否かにあるのではないことは、精神分裂病者や覚せい剤の一時多量使用により精神障害を招来した者の行動時の意識が清明であるのに拘らず幻覚妄想状態を示し、是非弁別能力及び行動制禦能力が欠如したとされる幾多の事例をあげつらうまでもなく、法理上明白であつて、右の判断は、行為者の器質、負困、犯行当時の言動、追想障害、幻覚妄想状態の有無程度等の全体的考察に基づく是非弁別能力、行動制禦能力の存否程度に決せられるべく、前掲鑑定人の鑑定の如く被告人は、本件犯行当時飲酒により意識障害及び健忘を伴う朦朧型の病的酩酊に陥り、是非弁別能力及び行動制禦能力共に欠如(精神障害による前者能力又は後者能力の欠如を以下「責任無能力」)し、心神喪失の状態にあつたと認められ、この事実に関する弁護人の主張は、肯認せざるをえない。
しかし関係証拠によれば、被告人は、成年前から酒に親しみ、次第に沈溺してアルコール嗜癖に陥り、飲酒を始めると抑制が困難となるのみならず、清酒に換算五、六合を越えて飲酒するときは暴力を振うに至つたこと等が屡々あり、かつ、事後その非を告げられ忠告される等して、自己の酒癖の悪いことを知悉しており、殊に大阪地方裁判所で審理された窃盗、住居侵入及び果物ナイフを被害者らに突き付け「今人を刺して来た。一人人殺すも二人殺すも一緒だ。警察に知らせたら子供も殺す。」旨脅迫し、一被害者の両手両足をタオル等で縛る等の暴行を加え、金員を強取しようとしたが、その目的を遂げなかつたという強盗未遂各被告事件につき精神鑑定を受け、判決が言い渡された際、被告人が同判決判示の各犯行当時飲酒(純アルコール一六八グラム以上と認められる。)による複雑酩酊のため心神耗弱の状態にあつたことを告知され、かつ、特別遵守事項として禁酒を命ぜられたほどであるから、本件犯行前にも、飲酒を始めればこれを抑制し難く、相当量飲酒すれば異常酩酊に陥り、是非弁別能力又は行動制禦能力が少くとも著るしく減低(刑の減軽という法的効果の加味される以前の状態を直視して以下「減低責任能力」)する状態において他人に暴力脅迫を加えるかもしれないことを認識予見しながら、あえて判示のように断続的に清酒七ないし九合を飲んだと推断することができ、これを覆えすに足りる証拠はないので、本件犯行当時における被告人の心神状態だけを捉え、犯罪の成否を決することはできない。
そこで、いわゆる原因において自由な行為の成否が考慮されなければならない。これに関して種々の見解が存するが、当裁判所は、行為者が責任能力のある状態のもとで、(イ)自らを精神障害に基づく責任無能力ないし減低責任能力の状態にして犯罪を実行する意思で、右各状態を招く行為(以下「原因設定行為」)に出、罪となるべき事実を生ぜしめること、(ロ)若しくは右各状態において犯罪の実行をするかもしれないことを認識予見しながらあえて原因設定行為に出、罪となるべき事実を生ぜしめること、(ハ)又は右各状態において罪となるべき事実を惹起させるあろうことの認識予見が可能であるのに不注意によつてこれを認識予見しないで原因設定行為に出、罪となるべき事実を惹起させることをいうと解するが、右の責任無能力又は減低責任能力の状態は、行為者が積極的に右各状態に置こうとしてその状態になつた場合に限らず、責任無能力状態に至るべきことを予見しながら減低責任能力状態に止まつた場合や減低責任能力状態に至るべきことを予見したが、責任無能力状態にまで至つた場合も含むこと勿論である。原因設定行為の際、責任無能力又は減低責任能力の状態において犯罪実行又はその可能性の認識予見があるときは故意行為であり、右各状態において罪となるべき事実惹起に至る認識予見の可能性があり、かつ、不注意があれば過失行為となるのであるから(この点精神障害の招来が過失によればよいとの見解があるが採らない。)、右の故意過失なしに、たまたま飲酒、薬物により右各状態に陥り、右各状態で罪となるべき事実を生ぜしめた場合は、これに該当しないのは当然である。
そして、いわゆる原因において自由な行為としての故意犯(右(イ)(ロ))においては、行為者が責任能力のある状態で、自ら招いた精神障害による無能力又は減低責任能力の状態を犯罪の実行に利用しようという積極的意思があるから、その意思は犯罪実行の時にも作用しているというべきであつて、犯罪実行時の行為者は、責任無能力者としての道具(間接正犯における被利用者について犯罪の成立が否定される場合に対比することができ、罪責を問われない道具という意味で、以下「単純道具」)又は減低責任能力としての道具(被利用者自身も罪責を免れないという点で、正犯意思を欠くため正犯としての責は負わないが、幇助意思のみをもつて罪となるべき事実を生ぜしめた故に幇助犯としての責を負う「故意のある幇助的道具」に対比することができ、罪責を問われる道具という意味で、以下「負罪道具」)であると同時に、責任能力のある間接正犯たる地位も持つ。一方過失犯(右(ハ))の場合は、原因設定行為時における責任能力のある状態での前記不注意という心的状態が事故惹起時にも作用しているので、この時点における行為者は、前述の単純道具又は負罪道具であるばかりでなく、責任能力のある不注意な行為者でもあると解せざるをえない。従つて、故意犯についてはその実行行為時に、過失犯については事故惹起時に、それぞれ責任能力のある間接正犯としての行為の法的定型性の具備、行為と責任の同間存在を共に認めることができるのである。
ところで弁護人は、いわゆる原因において自由な行為にいう「自由」を素朴な意義における意志の自由、即ち自己の意志による抑制が可能なことと解し、アルコール嗜癖ないし慢性アルコール中毒に陥つた者の飲酒は、自由意志が喪失し侵害されているから、かかる行為者にはいわゆる原因において自由な行為を認める余地がないと主張し、これと同旨の有力な専門家の見解があり、まことに傾聴すべきものとは思うけれども、当裁判所は、かかる見解を採らない。けだし、右見解は、いわゆる原因において自由な行為という概念の絶対性を前提とし、その「自由」に重要な意義があるとする立論であるが、右概念は、心理的責任論の影響を強く受けたものと思われるもので、措辞として妥当かどうか疑問があり、いわゆる原因において自由な行為の意義は、前述のようなもので、換言すれば、「故意に、又は過失により、行為者が責任能力のある状態のもとで、自ら精神障害を招いて、自らを単純道具又は負罪道具として罪となるべき事実を生ぜしめること」をいうのであつて、問題の要点は、原因設定行為が自由か否かにあるのではなく、「責任能力のある状態における行為者が、自ら精神障害を招いたか否か」にあるからである。故に荒廃状態にある精神病者は、意思能力、挙動能力はあつても既に責任能力がなく、その人格性を喪失しているから、右理論適用の余地はないけれども、アルコール嗜癖ないし慢性アルコール中毒に陥つたというだけの者は、通常有責に行為する能力をもつて社会的行為が為され、その行為は、法的に有効たるに十分なものであつて、もとよりその意思発動も非人格的とはいえないのみならず、かかる者は、飲酒が当人にとつて害毒であることを知りながら酒の誘惑から自己を制禦しえない弱い心の状態にあるだけで、所詮自儘が原因となつているのであるから、飲酒の点に関してみ、殊更にその意思発動を摘出して非人格的ということはできず、その飲酒による精神障害は、自ら招いた精神障害というに何ら妨げはない。もとより飲酒しなければ死に勝るような七顕八倒の苦しみに襲われ、飲酒させることが医学的にも必要やむをえないと認められる特段の事態が想定されないではないが、このような場合における飲酒は、行為者に意識が存在して為されたか疑わしい場合というべく、恐らくこの段階で是非弁別能力、行動制禦能力が欠如し、挙動は認められても行為とはいえないものであろうと考えられる。更に、例えば飲酒せざるをえない現実の圧迫が外部から加えられ、又はそのような圧迫の加えられる緊急明白な虞(蓋然性)があつたため、余儀無く飲酒して精神障害を惹起したような場合は、自ら招いた精神障害とはいえないこともとよりである。
従つて、当裁判所は、原因において自由な行為と称するよりむしろ、「自ら招いた道具状態における犯行」ないしは「自招道具犯」と表現した方が理解し易いであろうと考える。
翻つて関係証拠によつて本件を観るに、被告人は、本件犯行前飲酒を始めるに当つては、積極的に責任無能力の状態において犯罪の実行をしようと決意して飲酒したとは認められないから、確定的故意のある作為犯とはいえないけれども、右飲酒を始めた際は責任能力のある状態にあり、自ら任意に飲酒を始め、継続したことが認められ、他方飲酒しなければ死に勝る苦痛に襲われ飲酒せざるをえない特殊な状態にあつたとは認められず、前叙認定したように被告人は、その酒歴、酒癖、粗暴歴ないし犯歴、前記判決時裁判官から特別遵守事項として禁酒を命ぜられたことをすべて自覚していたと認められるので、偶々の飲酒とはいえないのみならず、右飲酒時における責任能力のある状態のもとでの注意欠如どころか、積極的に右禁酒義務に背き、かつ、飲酒を重ねるときは異常酩酊に陥り、少くとも減低責任能力の状態において他人に暴行脅迫を加えるかもしれないことを認識予見しながら、あえて飲酒を続けたことを裕に推断することができるから、暴行脅迫の未必の故意あるものといわざるをえない。そして、自ら招いた単純道具状態における故意犯の犯意は、責任能力のある状態のもとで認識予見し、認容した範囲に限定され、単純道具において知覚し意思を生じたものは人格の発現と認められないので否定されるべきものと解すべきところ(但し、自ら招いた負罪道具状態における故意犯については負罪道具たる自己の犯意に影響され、間接正犯たる自己の当初の犯意は、逆戻作用を受ける。)、被告人は、前記飲酒開始から飲酒継続中を通じて強盗をする意思のあつたことを認むべき一片の証拠すらなく、前述のように同人は、清酒七ないし九合を飲み終えた判示八日午後八時頃からは病的酩酊に陥り始め、熊本の姉に電話を掛けたが目的を達しないまま牛刀を携えて飯場を出た同日午後一〇時過ないし一一時頃には、病的酩酊の最中であつたと認められるので、意思能力、断片的意識は認められるけれども、人格の発現とみられる強盗の目的意識を維持して右牛刀を手にしたとは、到底肯認し難く、前記電話も意のままならず、金員にも窮する等の事情が重なり、鬱憤晴しの気持で漠然と牛刀を携帯したと認めるのが相当である。更に、判示遠藤宏に対し「金を出せ。」と申し向けた外形事実は動かし難いものであるけれども、遠藤が「金は渡します。」と返答した事実の記憶は被告人にはなく(この認定する被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書の記載部分は採用しない。)、遠藤の右言辞に被告人は応えずに牛刀で遠藤の頸筋等をぴちやぴちや叩きながら「真直ぐ走れ。」と言つたのみであつて(この認定に反する遠藤の検察官に対する供述調書の記載部分は、事件直後の遠藤の司法警察えに対する供述調書の記載部分と矛盾し、採用することができない。)、これは畢竟被告人が遠藤の右返答を知覚しなかつたためと思われ、判示暴行脅迫後被告人は遠藤に金を要求せず、同人が隙をみて車外に逃げ出すと、被告人は助手席にあつた金員入り革製大型がま口を容易に奪取しうる状況にあつたのにこれをしないで現場から離脱している等の事実に鑑みると、被告人が負罪道具以上に人格を回復した状態において品強取を表象認容し判示所為に出たとは認め難く、右所為当時も依然病的酩酊中であつたと認めざるをえないのであつて、前述犯意の逆戻作用は否定されるべきものであり、本件を強盗未遂に問擬することは到底でずき、認定しうる犯罪事実は、判示範囲に止まらざるをえない。
そして、右は本件訴因に対しては構成要件の一部脱落認定であるから、訴因変更の手続は採る必要がないものである。
(法律の適用)
判示所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条、刑法第二〇八条、第二二二条第一項、罰金等臨時措置法第三条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で被告人を主文第一項の刑に処し、未決勾留日数の右刑算入につき刑法第二一条を、訴訟費用を被告人に負担させない点につき刑事訴訟法第一八一条第一項但書を各適用する。
(量刑事情)
被告人は、酒癖の悪いことを十分自覚していたばかりか、昭和四八年前示のような判決を受け、禁酒命令付きの保護観察中であるから、厳に謹慎自戒しなければならないのに、未必の故意をもつて自ら精神障害を招き、深更人影少い判示道路を走行中のタクシー内で営々たる運転手の背後から兇器を示して暴行脅迫を加えたもので、危険極まる悪質な犯行というほかなく、全く弁償慰藉の方途を講じておらず、被害者の厳罰を求める心情は容易に諒察できるところであり、被告人の生活史、犯歴、適切な監護者不在の現状等に鑑みると、その非行予測は悲観的と評すべく、長期の未勾留も事案の困難性から致し方なく、本件刑責はゆるがせにすることができないのであつて、他面において、被害者は幸いにも身体に別条がなく、財産的損失も軽少であつたこと、被告人には自由刑実刑の前科がないこと、反省と更正の意を披瀝していること、その生立、家庭事情、更には秋元波留夫鑑定人が前事件判決に示された各犯行当時における被告人の心神状態につき浜義雄鑑定人とは異つた見解を示したこと、同事件鑑定における飲酒試験が適切ではなかつたと思われること等被告人にとつて斟酌されるべき一切の諸事情を能う限り考量しても、到底罰金刑に処すべき事案とは認められず、判示処断は、やむをえないところである。
よつて主文のとおり判決する。
(櫛淵理)